憲法「基本的人権の限界」
ここは、憲法「基本的人権の限界」を講義している教室です。
1.公共の福祉
日本国憲法では,人権について,第11条や第97条で「侵すことのできない永久の権利」と定められています。
しかし,だからといって,人権が絶対無制限のものというわけではありません。
特に,他人との人権との関係で,制約されることがあるのは,ある意味当然のことと考えられています。
例えば,職業選択の自由があるといっても,無免許で医療行為をすると,他人の生命や健康を損なうおそれがあるので,生命や健康を守るため,「勝手に医療行為を行ってはいけない」と職業選択の自由に制約を設けるのは,当然と考えるわけです。
では,日本国憲法では,この人権の制約について,どのように定められているかというと,「公共の福祉」という語を使って表現されています。
例えば,憲法12条で「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と規定していたり,
13条で「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定していたりします。
このように,憲法では「公共の福祉」という語を使って,人権が制約される場面があることを表現しているんです。
イメージとしては,次の図表1のような感じです。
【図表1:人権制約のイメージ】
2.人権制約の憲法判断
さて,日本国憲法上でも,人権は制約される場合があるものという考え方がされているのですが,だからといって,むやみやたらに制約することが許されるわけではなく,制約し過ぎると,その人権制約は憲法違反になります。
では,どのような人権の制約は憲法上許されて,どのような制約は許されず,憲法違反になるのでしょうか?
この問いに,「公共の福祉」という抽象的な言葉では,判断できません。
そこで,人権制約が憲法上許されるかどうかが,具体的に裁判で争われた場合の判断基準について,有名なところを学んでおきましょう。
(1)比較衡量論
比較衡量論については,前回の最後でも見ましたが,もう一度説明しておきますね。
次の図表2を見てください。
【図表2:比較衡量論のイメージ】
これは,人権を制限することによって失われる利益と,得られる利益とを比較して,
失われる利益が大きければその制限は憲法違反(違憲)とし,
得られる利益が大きければその制限は憲法上許される(合憲)とする考え方で,個別的比較衡量とも言われます。
(2)二重の基準論(double standard)
これは,アメリカの判例理論で体系化されたもので,経済的自由の制限と精神的自由の制限とを,異なる基準で違憲審査しようとする考え方です。
この考え方には,精神的自由は経済的自由に比べて優越的な地位にあるとの考え方が背景にあります。
ですので,経済的自由の制限については,緩やかな基準で違憲審査を行い,よっぽどひどい制限でない限り,憲法上許される(合憲)とします。
それに対して,精神的自由の制限については,厳しい基準で違憲審査を行い,その基準をクリアーできていない制限は憲法違反(違憲)とします。
次の図表3で,イメージを確認しておいてください。
【図表3:二重の基準論のイメージ】
(終わり)
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