法律入門講座「憲法【精神的自由権】」ークマべえの生涯学習大学校ー

クマべえの生涯学習大学校

憲法「精神的自由権」

ここは、憲法「精神的自由権」を講義している教室です。

ここでは、自由権を3つに分けたうちの、精神的自由権についてお話します。


★精神的自由権

精神的自由権とは、人間の心の中や、その心の中のものが外に出たものなど、精神的な活動についての自由のことをいいます。

それでは具体的に、条文をあげながら見ていきましょう。


1.思想及び良心の自由

1つ目は、思想・良心の自由です。次の条文を見てください。

第19条

思想及び良心の自由は、これを[おか]してはならない。

思想・良心の自由とは、心の中で、何を思っても良いし、何を考えても良い、ということです。
言い換えると、人間の心の中に、国家は入り込めない、ともいえますね。
ですので、例えば、

  • 「俺はいつか、世界征服をしてやるぞ!」
  • 「あいつのことキライだから、頭に豆腐の角をぶつけてやる!」

と、不謹慎な(?!)ことでも、心の中だけで思っているだけならば、警察に逮捕されたりしないのです。

そういうことが保障されている条文です。

ちなみに、「思想」と「良心」は、特に区別して理解する必要はありません。両方とも同じように心の中を表しているものと考えておけば良いでしょう。

【図表1:思想・良心の自由】

思想良心の自由

2.信教の自由

次は、信教の自由です。さっき学んだ「思想・良心の自由」の、宗教的な意味をもつもの、という感じです。次の条文を見てください。

第20条第1項

信教の自由は、何人[なんぴと]に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

第2項

何人も、宗教上の行為、祝典[しゅくてん]儀式[ぎしき]又は行事に参加することを強制されない。

第3項

国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

まず、第1項では、宗教を信じる信じないは、その人の自由であることを言っています。

第1項の後半では、どのような宗教団体も、国から特権を受けてはいけないことが定められており、また、宗教団体は、政治権力を使ってはいけないことも定められています。

言い換えると、国家と宗教は、関わりを持ってはならないことを言っています。この部分を特に「政教分離[せいきょうぶんり]の原則」と言います。重要な専門用語なので、しっかりと覚えておきましょう!

政教分離の原則を、例をあげて説明すると、例えば、
「宗教団体Aは、国から特別に、信者1人あたり1万円のお金をもらっている」とか、
「宗教団体Bの意見で、法務大臣の判断が大きく変わる」というようなことがあってはならない、ということです。

次に第2項では、お祈りをするなどの宗教上の行為を強制されない自由や、祝典や儀式など、行事に参加することを強制されない自由があります。

例えば、誰かに
「今から南に向いて、ハリラリラ~、と3回唱えろ!」と言われても、唱える必要はありませんし、
「今から立宗50周年の記念式典があるから参加しろ!」と言われても、参加する必要はありません。
もちろん、唱えたかったら唱えても良いし、参加したければ参加しても良い、という意味です。

さらに、宗教団体に入る自由も入らない自由もあるし、宗教を広める自由も広めない自由もある、ということも言えます。

そして第3項では、国は、宗教教育をしてはならないし、国は、宗教的な活動をしてはならない、と定められています。

例えば、公立中学校で、聖書を読んでお祈りするような授業を行ってはならない、ということです。

これも「政教分離の原則」の表れと言えますね。

じゃあ,例えば,公立の幼稚園でクリスマス会を行うことも,政教分離の原則に反して許されないのでしょうか?

それは,なんか極論[きょくろん]のような気がしますよね。幼稚園でクリスマス会ぐらい認めてあげてもよさそうな気がします。

このように,確かに国(や地方公共団体)と宗教は分離しなければいけないけれど,現実には,厳密に分離することは難しい。となると,国と宗教が,どの程度の関わりなら憲法違反にならなくて,どの程度の関わりなら憲法違反になるのか?その基準を定めることが大切になりますよね。

実際,裁判ではいろいろな事件について判決がなされています。
そのうち,有名な津地鎮祭[つじちんさい]事件(最大判昭和52.7.13)の判決で,裁判所は,政教分離規定について,国家と宗教を完全に分離することは不可能に近く,完全に分離しようとするとかえって社会生活の各方面で不合理な事態となる。
だから,政教分離原則は,国家と宗教とのかかわり合いをまったく許さないとするものではなく,相当とされる限度を超えることを許さないとするものである,と判決しました。

そして,20条3項にいう宗教的活動とは,その目的が宗教的意義を持ち,その効果が宗教に対する援助・助長・促進または圧迫・干渉等になるような行為をいう,と判断を下しています。

この判例で示された,憲法違反になるかどうかの基準を,目的効果基準といいます。重要な専門用語ですので,しっかりと理解して憶えておきましょう。

では,津地鎮祭事件について,まとめておきましょう。

最大判昭和52.7.13「津地鎮祭事件」
【争点】
1.日本国憲法上,政教分離原則は,国家と宗教を厳格に分離することを要求しているのか?
2.国家と宗教との関わりについて,違憲と判断をする基準は?

【結論】
1.政教分離原則は,国家と宗教とのかかわり合いをまったく許さないとするものではなく,相当とされる限度を超えることを許さないとするものである
2.そして,20条3項にいう宗教的活動とは,その目的が宗教的意義を持ち,その効果が宗教に対する援助・助長・促進または圧迫・干渉等になるような行為をいう(目的効果基準)

それでは,少し長くなりましたが、次の図表2で、イメージ作りをしてみてください。

【図表2:信教の自由】

信教の自由

3.学問の自由

次は、学問の自由です。次の条文を見てください。

第23条

学問の自由は、これを保障する。

これは短い条文ですねぇ。「しっかりと覚えましょう!」という必要もないですね。
では、簡単に内容をお話しておきましょう。

この学問の自由には、

  • 学問研究の自由
  • 研究発表の自由
  • 教授の自由

が含まれています。

学問研究の自由とは、学問を勉強し、研究を進める自由を、憲法で認めます、という意味です。

研究発表の自由とは、研究した成果を、学会などで発表する自由を、憲法で認めます、という意味です。

そして教授の自由とは、生徒に、学問を教える自由を、憲法で認めます、という意味です。

この短い条文には、この3つの意味が含まれていることを覚えておきましょう。

【図表3:学問の自由】

学問の自由

さて,学問研究の自由が保障されるために,とくに大学で「大学の自治」を認めることになります。

大学の自治とは,大学内部の人事とか,施設の管理とか,学生の管理などについて,大学の自主的な決定に任せ,国家はそこに口出ししないでおきましょう,という考え方のことをいいます。

ここで,大学の自治に関して,とても有名な「東大ポポロ劇団事件」という,なんか可愛らしい名前の判例がありますので,見ていきましょう。

なお,判例の学習方法として,事件の背景は理解の助け程度にさっと見ておくぐらいで大丈夫です。あくまで大切なのは,その裁判で何が争われ(争点),それに対してどのような判断がされた(結論)のかを押さえることですので。

では,次の判例を見てください。

最大判昭和38.5.22「東大ポポロ劇団事件」
【背景】
東京大学の学生団体である「ポポロ劇団」が東大内の教室を使って演劇を発表している途中,観客の中に私服警察官がいるのを学生が発見し,警察手帳の呈示[ていじ]を求めたがそのときに暴行があったとして逮捕・起訴された事件。

【争点】
起訴された学生の行為は,大学の自治を守るための正当行為であるか?

【結論】
ポポロ劇団の演劇発表会は,学問研究のためのものではなく,松川事件(当時社会問題になっていた事件)を扱った,実社会の政治的社会的活動であり,かつ,公開の集会またはこれに準ずるものであるから,大学の自治を享有[きょうゆう]しない

どうでしょう,理解できましたか?

この東大ポポロ劇団事件の判決は,学問上いろいろ問題点が多いとされていますが,とにかくまずは,「学生の政治的社会的活動には,大学の自治は認められない」と判断されたんだということを理解しておいてくださいね。


4.集会・結社・表現の自由、通信の秘密

そして最後に、表現の自由です。これは、1.で学んだ「思想・良心の自由」で保障されている心の内面が、外に表れたもの、という感じです。次の条文を見てください。

第21条第1項

集会、結社[けっしゃ]及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

第2項

検閲[けんえつ]は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

まず、第1項では、集会を開くのも自由、言論活動を行うのも自由、本などを出版するのも自由、と言っています。これらをまとめて、表現の自由と呼んでいます。

例えば、自分の思っていることをエッセーとして本を出版してもよいし、学生集会などで、「青年の主張!私は○○○だと思います!」と、自分の考えを主張しても良いわけです。

ブログで日記を公開して、出来事や自分の考えを公開したりする方もいますね。

これらの自由は、すべてこの条文で、保障されているのです。

次に、第2項の前半では、検閲の禁止が定められています。

この検閲とは、簡単に言うと、政治権力が、書籍や新聞、雑誌などの表現内容を、出版前に、強制的に調べることを言います。

例えば、自分の考えを書いたエッセーを出版しようとしたところ、警察が「ちょっと待て!ちょっと調べさせてもらう」と言われたとします。
その後に、「調べた結果、不都合があるので出版禁止!」なんてことになると、表現の自由を踏みにじることになり、非常に危険です。なので、憲法で禁止しているのです。

そして第2項の後半では、通信の秘密が保障されています。これは、手紙や電話、現代ならメールなどの内容を、政治権力がこっそり見る、なんてことは認めませんよ、ということです。

次の図表4で、表現の自由についてまとめていますので、頭にイメージを作っておいてください。

【図表4:表現の自由】

表現の自由

さて,この表現の自由で保障されている「表現」ですが,「思想・良心」と異なり,周りの人に伝わるんですよね。言い換えると,周りの人に影響を与えるんです。ということは,表現の自由も大切ですが,周りの人への影響を考えることも大切ですよね。

例えば,「おれは坂本竜馬が大好きだ!」と,ブログに書くのも口に出して言うのも,表現の自由ですから別に問題ないのですが,夜中の寝静まった時間に,メガホンで叫び続けていたらどうでしょう?
近所迷惑ですよね。いくら表現の自由だからといっても,周りの人に迷惑をかけてはいけません。

そこで,日本国憲法では,「公共の福祉」という語を使って,ある人の人権と,周りの人の人権とを調整しようとしています。

言い換えると,大切な人権ではあるのですが,ときには人権を制約する必要がある,ということです。先ほどの例でしたら,表現の自由を制約して,例えば警察が「夜中に騒ぐな!」と言うことも憲法上認められるということです。

このように,表現の自由(人権のほとんどがそうですが)では,どういう場合に人権を制約することが許されるのか,という場面がよく出てきます。
これについては,次回説明しますね。


ではここで,表現の自由の1つである報道の自由について,判例を見ながら学んでみましょう。

最大決昭和44.11.26「博多駅テレビフィルム提出命令事件」
【背景】
アメリカ原子力空母[くうぼ]寄港[きこう]反対闘争に参加した学生と機動隊員が衝突し,それについての裁判(審判請求)が行われていて,福岡地裁がテレビ放送会社に,証拠としてテレビフィルムの提出を命じたが,放送会社がその命令は報道の自由を侵害するとして争った事件。

【争点】
1.報道の自由の意義は?
2.公正な裁判を行うための裁判所のフィルム提出命令と,報道の自由との関係は?そして提出命令は憲法上許されるか?

【結論】
1.報道機関の報道は,民主主義社会において,国民が国政に関与するにつき,重要な判断の資料を提供し,国民の知る権利に奉仕[ほうし]するものである。したがって,表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにあることは言うまでもない。
2.公正な裁判の要請[ようせい]に基づく提出命令の必要性と,取材の自由が[さまた]げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合[どあ]い等の事情とを比較衡量[ひかくこうりょう]して決せられるべきであり,本件フィルムは,証拠上きわめて重要な価値を有するものであるから,提出命令は合憲(憲法に違反しないこと)である

まず,結論1である通り,報道機関の報道の自由は,表現の自由として憲法上保障されることが述べられています。

ただ,結論2で,報道をするために必要な取材の自由も,無制限に保障されるわけではなく,公正な裁判を行う上で,どうしても必要な場合は,制約を受けることがあるとしています。

そして,取材の自由や報道の自由が制約を受ける度合いと,公正な裁判を行う必要性を,はかりにかけ,どちらが重要で優先すべきかを決めるべきであるという,比較衡量論で憲法に違反するかどうかを判断しています。

ここで,比較衡量論について簡単に説明しておきますと,比較衡量論とは,ある人権が制約されることのデメリット(「失われる利益」という)・マイナス面と,その人権が制約されることのメリット(「得られる利益」という)・プラス面とを,はかりにかけて比べ,失われる利益が大きければその人権の制約は憲法違反であり(違憲),得られる利益が大きければ憲法に違反しない(合憲),と判断をする理論のことを言います。

次の図表5で,イメージを作ってみてください。

【図表5:比較衡量論】

比較衡量論

ちなみに,この判例では,報道の自由とならんで,取材の自由についても述べられています。学習が進んだら,一度判例集などを読んで,裁判所はどのように考えているのか,押さえておいてくださいね。


(終わり)

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